|
|
2013年11月10日(主日礼拝)
「神と和らぐ」
ヨハネによる福音書14章27〜31節
大川従道牧師 (9/10) |
実は、水曜日にチェ・アン先生がここにお見えになって説教なさいました。アメリカでは最近、死人がよみがえるという奇跡が起こっているそうです。あれはアフリカばかりではなく、アメリカのような先進国でも起こる。これが末の世の驚くべき「sign and wonder (しるしと不思議)である」という説教。凄かったですね。
私の心にそれが留まりました。だから「甦るように祈ろう」と思って、祈り始めました。
副牧師に、私は強く言いました。
「甦るように、みんなで真剣にお祈りするように」
私たちは熱心に断食して祈りました。昨日葬式で、ここに遺体があったのですが、私は遺体に触れ「これからでも甦りませんか」と、そう主に願いましたが、天に召されていきました。
私たち、この地上では壊れる人生でありますが、天国では栄化されるのです。
私は副牧師にはっきりと言ってあります。
「私が死んだら、甦りの祈りは、絶対に、間違ってもしてはいけない」
せっかく天に召されたのに、呼び戻して欲しくないのです。私は一三歳の時から天国に憧れているのですから。
言っておきますが、私は長生きする予定です。しかし私が召されたら、それは主の御心ですから、絶対に生き返るように祈らないでください。
勿論、教会員のためですからね、一生懸命お祈りしました。ですからみなさんも、私にちゃんと遺言を書いておいてください。
「私は、イエスさまが天に召してくださったら、甦りの祈りはしないでください」と書いておいてくださらないと、断食してお祈りするのもなかなか大変です。「私が召されたら、そのままでけっこうです。天に行くことを喜びます」と書いてくださったら、葬儀でそのように申し上げますから、よろしくお願いします。
ヘンリー・ナーウェンがこういう言葉を残しました。I am restless until I am rest in you.
大塚先生がこう訳しました。
「私の心は、あなたの中に憩うまでは落ち着かないのです」
人間って、主の懐に憩う時、落ち着くのです。
主はわたしの牧者であって、わたしには乏しいことがない。
主はわたしを緑の牧場に伏させ、いこいのみぎわに伴われる(詩篇23:1〜2)。
主の懐で憩うということです。
あなたは神さまからコールされていますか。「このことのために生きなさい」と言われていますか。
私は、2008年の11月10日、心筋梗塞を発症し救急車で聖路加病院に運ばれました。夜中でしたが緊急手術をして、現在、私の心臓にはステントが三つ入っています。
|
|
p9 |
|
|
|
|
|
|
|