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2013年11月10日(主日礼拝)
「神と和らぐ」
ヨハネによる福音書14章27〜31節
大川従道牧師 (5/10) |
小学生がときどき洗礼を受けます。
「早過ぎるんじゃないですか」とクレームがつく時もありますが、信仰告白のお手紙に共通して書かれていることは、「ぼくは天国に行きたいです。地獄にいくのは嫌です。だから洗礼を授けてください」そう書いてあるんですよ。
大人の信仰告白は罪が多いので、えらく長いのもあります。全部書かなくてもよろしゅうございます。よく分かっておりますから。「天国に行くこと」は共通の願いでございます。
未来がはっきりしていると、平安な人生を過ごすことができます。ハプニングで、突然召されるようなことがあったとしても、何の心配もないというのが聖書が教える真理であります。
2.罪責感がない
二番目。どうしてイエスさまは、死を目前にして平安であったか。それは罪責感がないからです。
イエス・キリストは罪を犯したことが無いので、罪責感があるはずはありませんが、私たちには責められることがたくさんあります。
さあ、聖書の14章30節にこう書いてあります。
わたしはもはや、あなたがたに、多くを語るまい。この世の君が来るからである。だが、彼はわたしに対して、なんの力もない。(ヨハネ14:30)
「この世の君」といはサタンのことです。サタンはいつも私たちを縛り上げ、大騒ぎをします。
私は、インドネシアのジャングルでマラリヤに掛かったことがあります。高熱が十日間も続き、お医者さんは「もう生きる方法は3%しか残っていない」と言いました。だってお医者さんはマラリヤを診たことがないのですから、しょうがないですよね。
熱が出たのは、私が日本に帰って来てからでした。 もうろうとした意識の中で、今でも明確に覚えていますが、自分が犯した罪が、心の中で犯した罪までもが、私の目の前に次から次へと出て来るのです。そして、サタンの奴が、私を脅かすんですよ。
「お前は、牧師をやっていたって地獄へ行くんだ。おまえなんか罪人じゃないか。」
そのとき、私は意識がきちんとし始めまして、
「サタン、悪魔よ、何を言うか。これらの罪を私は犯したけれど、イエス・キリストが十字架の上で身代わりとなり、死んでくださって、私の罪は全部赦されたものだ。サタン、悪魔よ、イエス・キリストの御名によって命令する。出て行け!」
あなたもこういう経験をするかもしれませんけれど、イエス・キリストのお名前には権威がありますから、サタンはその時に退いていきます。
これは私のマジな証しです。今でも驚くほど鮮明に覚えています。私は、イエス/キリストの御名によってマラリヤから解放されたことを、みなさんにご報告できるのです。
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