|
|
2013年11月10日(主日礼拝)
「神と和らぐ」
ヨハネによる福音書14章27〜31節
大川従道牧師 (6/10) |
10月31日、数日前でありましたが、宗教改革記念日でありました。
マルチン・ルターのことについて、恵泉女学園大学の名誉教授をしていらっしゃいます大塚野百合先生が書かれている中に、このような一節がありました。
「全身の骨が灰になるほどの恐怖」
いい表現ですね。ドイツ語を訳したものです。ルターのように罪に対して敏感な方を見たことがない。このまま行けば地獄に落とされる罪深い者である、と彼は言っています。いいですか、人を比較しているわけではありませんよ。ルターのような真面目な人は、人と比較すれば威張れるでしょうが、そうではない。
聖いお方の前に立った時に、私は罪深い存在であるということを、受け止めたんでしょうね。このように敏感であるからこそ、赦していただけるということで、喜びが爆発したのであろうと思います。
信仰による義、プロテスタンティズムの最も重要なことは、「行い」によって救われるのではなくて、「信ずる」だけで救いが与えられることです。「努力しなさい。テストします。良い点数の人が天国」ではありません。これが「ゴスペル、神さまがくださった福音、喜びの訪れ、good news 」です。
ルターは喜び勇んで、信仰による義認を言い続けました。
先週は、大学の先生が洗礼を受けました。
「子よ、安心しなさい。あなたの罪は赦された」
信仰の赦しの宣言というのは感動ですね。世界の誰も言うことのできない宣言。あなたの罪、あなたの存在に対して、
「子よ、安心しなさい。あなたの罪は赦された」という赦しの宣言。みなさんにお願いです。死ぬ前に必ず、この赦しの宣言を受けてください。安心して天に召されます。
信仰がないのに、芸能人の葬儀で「天国でゴルフやろうぜ!」とか「天国で一杯やろうぜ」って、よくああいうことが言えると思います。
「I am the way」
この道を通してでなければ、父のみもとに行くことはできない」のです。
幸せの道。それは第一に、未来をはっきりさせること。第二に、罪を赦していただくこと。第三に、使命感を確立することです。
|
|
p6 |
|
|
|
|
|
|
|