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2013年11月10日(主日礼拝)
「神と和らぐ」
ヨハネによる福音書14章27〜31節
大川従道牧師 (2/10) |
みなさんにお願いがあります。この礼拝は、CGNTVで世界中に衛星中継されておりますから、説教中にお眠りをなさいますと、いかに退屈なつまらない牧師であるということが公にされますので、説教中は居眠りをなさらないように、よろしくお願いします。というのはジョークでありまして、テレビカメラには、「説教中は人の顔を映さないように」と、そうお願いしておりますので、どうぞご心配なさらずに、ごゆっくりなさってください。
今日のメッセージは、「どうしたら本物の幸せをつかめるか」であります。ヒルティの『幸福論』を待つまでもなく、人間が共通して求めているものは、「幸せになりたい」ということです。幸せになるために、努力し、勉強し、働きます。私たちの人生の中で、幸せの嫌いな人はひとりもおりません。
しかし、セーレン・キルケゴールが言っておりますように、私たちの手元にあるのは、不安と恐れ以外の何物でもありません。
「幸せを求めているのですが、手元にあるのは不安と恐れである」と言われるとき、私たちは頷いてしまうところがあるように思います。
二つ理由があります。ひとつは、幸福観が間違っておりますと、幸せは絵に描いた餅になります。たとえば、お金が絶対的な幸せの条件と思っておられる方々は、気の毒ですが、お金が人間を幸せにするわけではありません。
健康でさえも、健康ならば幸せか、そういうことでもございません。ご病気でも幸な方はたくさんいらっしゃいます。私たちの人生で、名誉も学歴も、私たちの社会的な地位も、幸せを確約するものではありません。
結婚すれば幸せになれると思っておられる若い方々がいらっしゃいますが、聖書は結婚を大変重んずる書物ではあるものの、結婚は絶対的な条件にはなりません。結婚なさっている方に聞いてみれば、直ぐにお分かりいただけると思います。
私たちの人生で、絶対的な条件は何でしょうか。たとえば、結婚観が正しく、幸せ観が正しくあったとしても、それを受け止める方法が間違っていれば、上手くいきません。
あなたは神と和らいで、平安を得るがよい。そうすれば幸福があなたに来るでしょう。(ヨブ22:21)
「神と和らいで」というのは、とても美しい日本語ですね。あなたは神さまに背中を向けないで、神さまと仲良くして、神と和らいで平安を得るがよい。そしたら貧乏であったとしても、病気であったとしても、どういう生活であっても、あなたの幸せは約束されます。
リビングバイブルでは、
神さまに口答えするのはよしたまえ。いさぎよく仲良くしろ。間違っていたことを素直に認めれば、神さまのいつくしみがある。
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