第一章 救いの道−その入口について

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 救いの道は、無限大に拡げられています。この世に生まれて、この救いにあずかれない人はひとりもいません。勿論、それを拒絶しないかぎりにおいてでありますが。
 早く言えば、誰でも救われます。そう、あなたも、この道を歩もうとすれば、今救われます。
 聖書の中で最も大切なみ言葉は、ヨハネ福音書三章一六節であります。
 「神はそのひとり子を賜わったほどに、この世を愛して下さった。それは御子を信じる者がひとりも滅びないで、永遠の命を得るためである」
 ここに登場する「神」とは、日本人の言う八百万の神の中のひとりではありません。
 聖書の「神」とは、人間が考えたり、作り出したりした神ではありません。反対に、人間を造った神、世界を、宇宙のすべてを創造された神であります。
 しかも、冷たい神ではありません。私たちを本気で愛してくださるあたたかい神さまであります。
 同志社大学の創立者新島襄先生は、聖書の第一頁にある最初のみ言葉「はじめに神は天と地を創造された」を読んだとき、私の信じる神はこの方だ、と決められたと言われています。
 同じ信じるなら、小さく狭く冷たい神ではなく、ワイドな、あったかい、広い神さまを信じた方がよいにきまっています。
 この神さまは、「ひとり子」(イエス・キリストのこと)を私たちにくださるほどの愛にあふれたお方であります。
 「この世」とあるのは、一部の人々のことではなく、世代を越えて、民族を越えて、この地球上に存在する(した)すべての人間を対象とされたということであります。勿論、あなたもその愛の対象であることには間違いはありません。
 これはまさに、条件のない愛のうるわしさです。

 聖書の中にあるみ言葉、イザヤ書四三章四節には「私の目には、あなたは高価で尊い。私はあなたを愛している」とあります。私の大好きなみ言葉でもあります。
 英語の聖書ではなんと、
“Very Important Person in God's Eye.”と表現されています。
 私たちは、神さまの目からは、VIP(最重要人物)と思われています。何かウソっぽい、と思っておられる方もいるでしょう。本当かなァ、と疑っておられる方もおられるでしょう。
 人間の存在というものは、成績がよいから、とか顔立ちがよいから、とかで決められるものではありません。あるお方が「あなたの存在は、尊い」と宣言されるから、尊いのです。そのあるお方が、創造主なる神さまであります。
 これはすごいことであります。これが分かれば、学校からイジメはなくなり、希望を失い自殺をする人はいなくなるのであります。
 こういう神さまを否定したりするから、人間の尊厳も、価値も分からなくなり、人生は混乱するのであります。
 あなたは、神さまから、尊ばれ、重んぜられている存在、愛されていることを知ってください。

 このことを裏づける証拠があるのです。それが、み子イエス・キリストの存在です。
 イエスさまは、二千年前に、ユダヤのベツレヘムの馬小屋で生まれてくださいました。
 これは、馬小屋のように汚い、臭いのする私たち人間の心に、愛をもって住んでくださるという現れであります。
 これが神さまの愛の表現でした。遠い世界から「愛しているよー」と叫ばれたのではなくて、具体的に、最も大切な、ご自身の命である「み子イエスさま」を私たちにプレゼントしてくださったのであります。
 プレゼントを無視したら、愛を否定したことになり、最も恥しい人間の行動になります。

 このイエスさまは、二千年前、文字通り、人間として、苦しいことも、悲しいことも、心痛むことも経験され、最後は、私たちの罪のために、十字架にかかって、死んでくださいました。
 ここに愛があります。この愛を信じるだけで、あなたは救われます。

 聖書は、マタイ福音書一一章二八節で「すべて重荷を負うて苦労している者は、わたしのもとにきなさい。あなたがたを休ませてあげよう」と語っています。  これはイエスさまのみ言葉です。すごい発言です。人類に対する救いのみ言葉です。感動的宣言でもあります。
 「すべて」です。だれでも、勿論、あなたもその対象です。

 この項で、私の申し上げたいことは、神さまの愛は、すべての人のためであって、その広さは海のように、大空のように、制限なしの、誰でも飛び込めるふところだということであります。
 この愛を感じると、人間の心はとろけるように平安をいただきます。とっぷりとつかっていたくなる温泉気分です。


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