第五章 付録−転入会される聖徒たちへ
「その日、仲間に加わったものが三千人ほどあった。そして一同はひたすら、使徒たちの教えを守り、信徒の交わりをなし、共にパンをさき、祈りをしていた。みんなの者に、おそれの念が生じ(「神を恐れる思いが全ての人を支配し」(現代訳))、多くの奇跡としるしとが、次々に行われた」(使徒行伝二章四一〜四七)。
私たちの教会に加えられましたことは、主の導きと信じて、心から歓迎します。一年もの間、なんとなく冷たく接しましたのは、できますことなら母教会にもどっていただきたい思いからでした。主に在るとはいえ、冷たいいじわるをゆるしてください。あなたはそのテストに合格して、この群に加わりました。
この教会は、前述のみ言葉のように、主を畏れると同時に、心から主を愛する群であります。
そのことは、パウロがガラテヤ書一章一節で言っていますように、牧師は、主から召され派遣されている「主のしもべ」であることを認められて、心から尊敬されている存在であることを証明しています。
尊敬の対象としての牧師は、心からの従順のそれでもあります。このことは誤解しないでいただきたいのですが、牧師には間違いや失敗がなくて、絶対的服従の教祖的存在ということではありません。
この群に加わられたのですから、何でも気がつかれたことは、直接でも、関接でも結構ですから尋ねてください。お手紙でも、FAXでもご意見を述べてくださって結構です。よりよい群の形成のために、積極的なご提案を歓迎いたします。
教会では、どんな意見でも、役員会に提出し、お互いの考えを述べ合います。牧師はそれに耳を傾け、必ず断食して祈り、主のみ旨を伺います。
ですから、あなたの考えと結論が異なっても、役員会が真剣に取り組み、牧師が断食して祈って結論を出しましたら、主のみ心と受けとめて、従順していただきたいのです。これがこの群の形成のために、最も大切にしている姿勢であります。これが守られている限りは、この群は混乱なく、平安裡に前進して行くと確信しています。
この群に導かれたのですから、必ず何らかのご奉仕をしてください。キリスト者には、必ず二つ以上の賜物が与えられていると信じています。マタイ二五章にありますように、タラントを隠して用いませんと叱られます。
勿論、教会内だけが用いられる場所ではありません。ある人は教会の外で大きく用いられる場合があります。私はそれを理解し、認めます。
しかし、リバイバルに備えて協力してほしいことは、「主のしもべ」として、「主の道具」として、「主の奴隷」として、具体的に「キリストのからだなる教会」に直接関わりをもって用いられることを期待します。
特に、この群に加わりましたら、祈祷会に積極的に参加して、共に祈り、祈りを通して沢山の奇跡を体験してください。
この教会は、今まで「日本の聖書的モデルチャーチ」になるように祈って来ました。ますます、この大きなビジョンに向かって邁進するように、主からの励ましを受けています。本当に楽しみです。求める者に対する主のご愛は無限大です。渇いて祈る者に注がれる油注ぎも無限大であります。
あなたをよく訓練を受けた聖徒としてお迎えしましたが、この教会に加わるにあたり、もう一度、この本の第一章から第四章までもお読みくださるようにお願い致します。
あらためて、あなた様を、主に在る聖徒として、キリストの愛をもって歓迎し、神さまの大いなる祝福をお祈り致します。私のためにも、毎日、必ず祈ってください。
calvarychapel@japan.email.ne.jp