石の枕
不機嫌は罪 恩師米田豊先生は私たち学生によくこうおっしゃっておられた。「諸君は病気がいやされると手をたたいて感謝するが、健康が支えられていることは、それ以上に有り難いことと思い、主に感謝すべきである」。
詩篇百三篇には「わがたましいよ、主をほめよ。そのすべてのめぐみを心にとめよ」とあるが、一年を終えるにあたって、忘れてはいけないことは神の恩寵である。聖歌にあるように「数えてみよ主の恵み」と、指をおりながら恵みを数えたらよい。
今年召天された祈りの人安藤せい姉は、毎年十大ニュースをあげて立証されていたのがなつかしい。(安藤姉の遺族から、故人の遺言に従い、告別式に寄せられたお花料の全額二七四万九千円が教会に献げられました。教会の責任役員会では、日曜学校と海外宣教のために用いられるように努力しております。この場をおかりしてご報告いたします。感謝。)
三浦綾子さんの新作本の中に「不機嫌は罪である」というのがあった。
トルストイが悪妻に悩まされていたとか、森鴎外の恐妻ぶりを聞くと、どうしてもその妻たちの表情に、柔らかい微笑が浮かんでいたとは想像し難い。「不機嫌は罪である」と言ったその人のつらさの深みが、何かわかるような気がする。いつ家に帰っても、妻の不機嫌な顔しか見れないということほど、孤独で淋しいことはないかも知れない。
このことは女性の問題だけではない。不機嫌な夫、子どもをもったら悲劇である。その本には「不機嫌は泥棒よりも罪が深い」とあった。
十大ニュースに良いことばかりを入れる必要はない。悪いと思えること、マイナスと見えることも「恵みのニュース」として数に入れて、思いきり大声で「ハレルヤ!主よ、感謝します」と叫びたいものです。それこそ「万事を益に変えたもう主」を信頼している者の歌声です。良いお年を!
一九九三年十二月二十六日
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