石の枕
たったの十五分 昨年なされた「全日本リバイバル甲子園ミッション」を動的リバイバルと評するなら、今回の東京ドームにおける「ビリーグラハム大会」は静的それといえる。しかし、昨年から始められた日本のリバイバルは確実に前進しているとみている。そして、主のお働きは多様性があるというか、バラエティに富んでいるといいたい。
このことは、私たちのような動的な教会も用いられるが、他の群も用いられると考える信仰につながっていく。ともかく、一億二千四百万人に福音を伝えるためには、どのタイプの教会も燃えて、主に用いていただきたいものである。
BG大会の大和教会出席延べ人数は、一三八一人、奉仕は聖歌隊は五十八人、カウンセラーは八十四人援護と手話奉仕は十六人。感謝。
さて、先週十九日は私の誕生日であったが、誕生日にくださるカードや手紙の中に、「今年は一生懸命に聖書を読むようにしています」とあり、何ものよりの「牧師へのプレゼント」であった。
ある方の手紙。「時間がない、と二言目には言ってしまいがちですが、聖書を各会ごとの競争で、と先生がおっしゃられてから、連帯責任ですから一人なまけるわけにもいかず、聖書を読み始めたら、結構、今まで無駄な時間を過ごしていたことがわかり、十分でも十五分でも、バスの中でも、電車の中でも、あちこちに聖書を置いたり、持ったりして読むようになりました。そうしてみると病人を訪問する時間がないとはいっていられません。時間をつくる工夫をするのが、今年の課題のようです。先生が色々な本を読んでいらっしゃるご様子に、どうして、いつそんな時間があるのでしょう、とかねがね不思議に思っていましたが、時間を上手に生かしてらっしゃるのですね―」。
一日の十五分間がその人の生き方を決める、とよくいわれるが、一日一回は聖書を開き、少しでも読もう、祈ろう、とする姿勢こそが、その人生を豊かなものへと導くのだと思う。ハレルヤ。
一九九四年一月二十三日
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