第四章 救いの道−その出口について

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 どの牧師も、キリスト教をやめる方法を親切に教えたりはしてくれません。しかし、現実には折角洗礼をお受けになっても、教会に来なくなる人は多勢おられるのです。
 「土方殺すにゃ刃物はいらぬ、雨の三日も降ればよい」なんて言葉がありますが、牧師殺すにゃ簡単です。教会から信徒たちが去ったら、ストレスで死にます。それ位、牧師は委ねられた信徒たちを天国にまでお連れすることに真剣です。
 ですから、牧師が気に入らなくても、教会が嫌いになっても、信仰を捨てないでほしいのです。信仰を失い、イエスさまから離れたら救いはありません。救いがないということは、天国に行けないということです。もうすこしハッキリいわせてもらえれば、地獄に行ってしまうということです。
 これは牧師からの切なるお願いです。どんなつまずきがあっても、イエスさまから離れてはいけません。もし、あなたの教会に行きにくくなったら、牧師に相談して他の教会を紹介してもらってください。
 洗礼を受ける信仰の入口のとき、祝福の祈りをしていただいたのですから、出口に立ったときも、牧師に祈ってもらったらよいと思います。黙って去るなんてことはしないでほしい。牧師は病気になります。心から主の助けを祈りますから、挨拶に来てください。
 転勤や移転によって自分の教会に行けなくなったら、地元の教会を紹介しますから、前もっておっしゃってください。何の理由であれ、一回も主日礼拝を休まない努力が大切です。その姿勢が主の喜ばれることであり、大きな祝福につながります。ホントです。
 もしも、ルカ福音書一五章の「放蕩息子」のようになっても、必ず、主のみもとにもどるチャンスはあります。その時が来たら、「本心に立ち帰って」大胆に主のふところにもどってきてください。  父なる神さまは、叱ることも忘れて、最高の愛で迎えてくださいます。
 私は毎週土曜日の夜の準備祈祷会のとき、「放蕩息子よ、放蕩娘よ、クリスチャンホームの子どもたちよ、イエスさまのもとにもどって来い!!」と大声で叫びの祈りをしています。
 主は、あなたを愛しておられます。両手を広げて待っていてくださいます。牧師も同じことです。サタンのささやきに負けないで、勇気をもって、主のもとに帰って来てください。お願いします。もしも牧師や教会に対してご批判がありましたら、お手紙をもってご意見を述べてください。牧師は聴く耳をもっているつもりです。どんなに激しい意見でもかまいません。
 しかし、この教会はケンケンガクガクの議論をたとえしたとしても、牧師が断食して、真剣に祈って結論を出したことに対しては、喜んでお従いする体質をもっています。
 あなたの古い教会の体質を持ち込まないでほしいのです。私たちの群れは、どんなマイナスのことが起こっても、「祈りに導かれることはすべてよし。マイナスもプラスに必ず変えられる」と信じて、すべてを感謝して受けとめる習慣をつくって来ました。
 そのことは、どんなことも裁き合わず、ゆるし、受けとめ、愛し合って行きたいという主のみ心を実践したいからであります。
 何ごとも、積極的に、肯定的に、建設的に、信仰的に、勝利的に考え、祈り、実践して行く教会でありたいと願っております。


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