石の枕
按手の恵み 「こういうわけで、あなたに注意したい。わたしの按手によって内にいただいた神の賜物を再び燃えたたせなさい」(・テモテ一の六)。
老パウロも、彼から按手を受けた若いテモテも「按手」(手をおいて祈る)を通してなされた不思議な働きを何か具体的な形で体験していたと思われる。
私はクリスチャンになってから三十八年たつが、他の人よりは、按手に興味があって、幼いときから、我が家(両親は牧師)に宿泊する牧師たちに按手の祈りを受けた。成人し、牧師になってからも著名な伝道者が来日すると、わざわざ宿舎を訪ねて按手の祈りを求めたものである。
しかし正直申し上げて、特別に体に感じるようなことは一度もなかった。
ところが、昨年の十一月十日、リバイバルの火に燃えるアルゼンチンを訪問したその日の夜の聖会で、クラウデオ・フレーソン師に按手をいただいたとき、霊の注ぎを受けて、その場に倒れてしまった。八月に来日されるカルロス・アナコンディア師からも同じような按手の祝福を受けた。
私は按手していただいただけでなく、前述の伝道者と同じような「神の賜物」を受けたようである。その証拠に、それ以来何百人もの方々が、私の按手を受けて祝福を上からいただいている。
愛兄姉よ、これは主からのものです。倒れることに不安を持たれる方は、イスに座したままでも按手の祈りを受けた方がよいことをおすすめ致します。
勿論、倒れることが中心目的ではありませんので倒れなくても全く問題はありません。不信仰や高慢の証拠でもありません。倒れないのには、神様の側に深いご計画・目的があるのだと私は信じています。とにかく不思議なことが起こっているのです。このミニストリーが、日本中に拡がり、キリストのからだなる教会が建て上げられることを切望します。私のため日々お祈りしてください。
一九九三年二月二十一日
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