石の枕
サンフランシスコ 教会の裏庭にりんごの木がある。今年の春は例年になく花が良く咲いた。大きな甘いりんごが沢山なるのを期待しながら、その花を眺めていた。ところが、花から実になったのはほんの三十個であった。それから五ヶ月間、実が少しずつ成長し熟してくるのを楽しみに待っていた。
しかし、風、雨、嵐や教会の悪戯っ子たちにあって、最後まで残ったのは四個。そして、さあ食べようと思い、りんごを取ったら三個は虫や小鳥たちの食べた跡が……。あんなに沢山の花が咲き、あんなに期待し、楽しみに待っていたのに……。厳しい現実である。
教会にも多くの方が来られる。ところが熱心に求道する人は多くない。その中でイエス様を信じてバプテスマを受けられる方はごく一部である。
そして、バプテスマを受けてしっかり教会につながり実り豊かな信仰生活を続ける方は数える程度しかいない。あんなに沢山の方が教会に見えられたのに……。あんなに期待し、楽しみにしていたのに……。厳しい現実である。
これはサンフランシスコの栗山牧師の月報の文章である。同じ牧師として涙が出るほど気持ちが分かる。
この牧師は、私がサンフランシスコ時代、洗礼を授けた方であり、現在、北加においてすばらしい働きをしておられる。(古川兄姉も、この牧師を通して主に導かれた。)三月二十八日に、私が当地に伺い、献堂式を行なう予定である。ハレルヤ。
愛兄姉よ。牧師の痛み以上に、ご聖霊様を悲しませないキリスト者になるべく、忠実に聖書を読み、熱心に祈り、キリストのからだなる教会の形成のために励む者になろう。そのために、絶対的に必要なことは、聖霊の注ぎを受けることである。
「聖霊があなたがたの上に臨むとき、力を受け証人となる」(使一の八)。求めて、求めて、求めて、主に喜ばれる聖霊充満のキリスト者にさせていただこう。祝福を心から祈っています。
一九九三年一月二十四日
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