石の枕
コスモス 私のまわりは、大好きなコスモスでいっぱい。駐車場に車をとめて横入口か入られる方々は、ちょこっと正面玄関前をご覧ください。
私の小学生時代育った静岡ホーリネス教会の前庭はとても広くコスモスであふれるほどであった。
当時、牧師家族八人は全員、礼拝堂の中にある各部屋に寝泊りしていたので、外に出るとき入るとき、その背よりも高くなったコスモスの中を通り抜けるという感じの生活であった。(私はこの牧師宅兼礼拝堂の中で救われたのである。)
二百十日とか、二百二十日とかは、必ず台風が来る時代であった。実に可憐なコスモスはいとも簡単に台風に打ち倒されてしまう。しかし、よく見ると負けたかのように倒され、折られたか細いコスモス君たちは、倒されても、折られても、決してギブアップすることなく、そのままの姿勢でまた沢山の花を咲かせるのであった。
十五才で両親のもとを離れ上京した大川少年は、孤独のとき、挫折したとき、きまってこのコスモス軍団を想い出し、「よし、ボクも負けないぞ」と自分に言いきかせたものであった。
後に、牧師になってからも何度も何度も夢破れ打ちのめされても立ち直ることのできたのは、コスモス君も励ましてくれたが、私たちの救い主イエス様の大いなる力であった。
小崎宣教師の遣わされた米国のラグナヒルズ・ミラクルチャーチは、ただ今「たとい倒れても、それで終わりじゃない。神様がついておられる。」というサンビが大ヒット中である。
現在多くの会社は不況の波にあらわれ、ガタガタしている。折角学校を卒業しても就職できない人もいる。また結婚生活もぶどう酒のなくなりそうな人もいるかもしれない。
もう一度聖書の聖言にもどろう。「酒に酔ってはいけない。むしろ御霊に満たされて、主にむかってさんびの歌をうたいなさい」(エペソ五の十八)。万事を最善に導きたもう主を仰いで!
一九九三年十月二十四日
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