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塩狩峠

先週は、支教会の標茶(しべちゃ)カルバリーチャペルを三畑長老とお訪ねし、主に在る交わりを深めることができました。

標茶町は人口一万四百人の小さな町ですが、牛は五万頭もいます。なんと「町花」がコスモスなので、町中何十万本のコスモスでいっぱい。私を大好きなコスモスが歓迎してくれているようにみえて最高の気分でした。

このような小さな町も、リバイバルが起こると千人礼拝が守れるようになると想像しただけで、胸おどる思いになります。今回は、隣町から池上姉が三人の青年を連れて出席してくださった。

標茶の後は、北見でレディス・ランチョンが二千円の会費でホテルで開かれた。私たちも、グランドホテルや北京飯店を用いて行いましょう。

牧師の車にのせていただき、旭川に向かったのが昼過ぎのことでした。途中、大雪国立公園、美幌峠の美しさに酔い、創造主なる神をほめたたえました。そして、思いがけず「塩狩峠」の現場に立ち寄ることができました。

三浦綾子姉の名作「塩狩峠」を読んで、またその映画を見て涙を流さない人はいないでしょう。

明治四十三年二月二十八日、旭川鉄道員庶務主任の長野政雄氏は、暴走する列車に自分の体を横たえてその列車の脱線をくい止め、多くの人々の命を救った旨の「長野政雄氏殉職の碑」が、塩狩駅の前につくられてありました。

その石碑には、彼がいつも持ち歩いていた遺書の一節が記されてありました。

「苦楽、生死均しく感謝。余は感謝して、すべてを神に捧ぐ」三十才なりき。

八十年も前に、このように潔められた、主に自らを献げきったキリスト者が存在していた。感激。感動。胸熱くして祈りをささげ、このような主の愛が日本中に広げられますように心を合わせて願いました。ハレルヤ。

連続八回の聖会、すべて恵まれ感謝でした。

一九九二年九月六日

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