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「心筋梗塞からの生還」 |
50代男性 Mさん |
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この度は私共のために、大川先生・道子先生はじめ、スタッフの方々・信徒の皆様の熱いお祈り誠にありがとうございました。お陰様で無事生還いたしております。
証
「私の父は今もなお働いておられます、ですから私も働くのです。」(ヨハネ5:17)
身をもって体験しました。確かに神様は生きておられて、私たちの為に働いていてくださっている実証です。
3月16日の午前3時すぎ、胸の痛みで目が覚めました。今まで経験したことのない痛みです。小錦(相撲取り)が足で私の胸を踏んでいるような感じです。
そのうちに脂汗もでてきました、苦しくてこれで終わりかな?という感じでした。
家内に救急車を呼ぶように声をかけました。家内はおもむろに起き上がり、まず身だしなみを整えるために着替えだしました。それからおもむろに119番に電話しました。 余談ですが女性は(家内は?)救急車を呼ぶより身だしなみを優先することがわかりました。
しばらくして、救急車がやってきました。乗せられましたが、なかなか出発しません(実は、すでにここから神様の働きがなされておられました)。受け入れ先がないのです。心臓病で通っていた病院をはじめ5〜6軒すべて断られていました。その中で、東海大学だけは「どこもなければ」との条件で受け入れていただきました。
私は大和に住んでいますので伊勢原の東海大学まで救急車でも約40分かかります。その間、私はひたすら祈りました。「神様あなたにお任せいたします。しかしもう少しこちらに居たいのです。お願い致します(この辺が欲の深い人間的だと思います)。」長く感じましたが、とにかく到着しました。硬いベッドに移されしばらくすると、「今から手術をしますので同意書のサインをください」と言われ、即刻サインしました。今の痛みから解放されたい一心でした。
それにしてもこんなに早い時刻(朝5時頃)に手術が出来るスタッフが備えられている病院に運び込まれてきたこと自体、神様の働き以外のなにものでもありません。最初から神様はこのように備えていて下さったのです。その時は知りませんでしたが、後で会う人、会う人皆さんから、一番いい病院へ運ばれたと不思議がられました。それも、「大和から伊勢原まで救急車がよく行ってくれたネ」と。もし他の病院へ運ばれていたらどうなっていたか?…後で思うと、ゾっとしました。
右手首に部分麻酔を打たれ、動脈からカテーテルを差し込まれていくのが腕の部分まではわかりました。痛みはありましたが胸の押しつぶされそうな圧迫感はやわらいで来ました。約2時間後、「おわりましたヨ」との声で「助かった」と一安心しました。後で家内に聞くと「覚悟しておいて下さい」と言われたそうです。
救命室に運ばれ「今日1日はここで様子を見ます」と言われ、今までのことを思い起こしていました。そのうち右手首の麻酔も解けてきました。動脈を止めていた手首の痛みが増してきました。その痛みは徐々に増してきて悲鳴を上げるような痛さにまで来ました(後で傷跡を見ますと5mm四方がえぐられていました)。先ほどまでの胸の痛さとはまた違った痛さです。「この痛さから開放されるなら手首ごと切り落としてくれ!」と思うぐらいの痛みです。
でもフッと思いました。
「イエス様が十字架に架かられ、手のひらに杭を打ち込まれたときの痛さは、おそらく
今の自分の痛さの比ではない。何十倍もの痛さであったろう、自分の罪の犠牲になって下さったのに何と自分は傲慢なのか」と胸が熱くなりました。
この心筋梗塞の手術のおかげで、神様は今も働いておられることを実証していただきました。大川先生・道子先生はじめスタッフ・信徒の方々の熱いお祈りのおかげで無事生還できました。でも今度担ぎ込まれると、助からないそうです。引き続きお祈りお願い致します。栄光を主にお返しいたします。
2007年5月 祈祷会の証より
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