石の枕 石の枕 石の枕

第三の波

私は時々誤解されて心を痛めることがある。

ペンテコステの聖会に招かれると「大川牧師はカリスマになった」といわれ、主からの賜物を用いて、いやしや按手をすると、まるでそれに傾いてしまったように言われてしまう。理解されないことはつらいことである。

私は教会紹介の文を書くとき次のように書く、「私たちは、聖書に忠実に信仰に立つプロテスタントのキリスト教会です。」

強いて、現代的表現を使えば、「福音派の立場をもちながらも、初代教会に載ったしるしと奇跡がある「第三の波」の祝福を受けているといえる。

勝手に主張していても理解されないといけないので、今回、私を解任した日本ホーリネス教団の代表的聖書学者千代崎先生を、私の肉的プライドを捨てて、お迎えして、神学的基本的聖書のご指導をいただいた。

私が牧師としていかにバランスをくずさないように注意しているかを知っていてほしい。

千代崎師は、次のようにいわれた。

聖書信仰の人は、聖句信仰になることがある。

中国には「断章取義」ということばがあるが、聖書のことばを一句理解するときでも、その聖句の前後関係(文脈)をよく見て理解することが大切である。そのためには、イスラエルの歴史の年表を利用し、歴史に親しむこと、また時代区分をきちんと理解し、大きな歴史の流れを把握することが肝心である。

私たちの群では、聖書をつまみぐいしないように、早天祈祷会では旧約一章、新約一章を学び続けている。祈祷会も、なんと礼拝も聖書から逸脱しないように順序よく連続講解説教をしている。

按手祈祷も決して強制しません。必要な人は熱心に求めてください。育てたもう主を仰いで。

一九九四年七月二四日

前 次 目次 ホーム
[ 前のを読む | 次のを読む | 目次に戻る | ホームページに戻る ]


calvarychapel@japan.email.ne.jp