石の枕
キリスト教小ばなし キリスト教小咄――。
とある月曜日、牧師が散歩していると、眠そうな顔でぼんやり歩いていた信徒に出会いました。
「やあ、元気ですか」
牧師の声にはっと我に返った信徒は、丁寧に挨拶をかえしながら、頭をかきました。
「いやあ、お恥ずかしいところを……。実は昨日、先生の説教を聞いたら、夜眠れなくなってしまったものですから」
牧師は、自分の話がそれだけ人を動かし、深い余韻を与えたのかと思い、胸がじーんとしてしまいました。それでも、謙遜な笑みを浮かべながら、優しく言いました。
「いやいや、それほど真剣に説教を聞いていたとは……。でも、眠れないのはお気の毒ですなあ。人間、あまり思いつめないほうがいいですよ。恵みを素直に味わうのは結構ですが、あとは主にお委ねしなければ」
上機嫌で去ってゆく牧師の後ろ姿に向かって、信徒はバツの悪そうな顔をして、申し訳なさそうに小声でつぶやきました。
「ちがうんですよ、先生。私は先生の説教が始まると、どういうわけか、いつもすぐ寝てしまうんです。昨日の説教は、またずいぶん長かったものだから、すっかり寝足りてしまったんですよ。それで夜は、どうしても眠れなくなったってわけで。ハイ」
これはS誌にのっていたもの。
大川評。かけだしの牧師時代は、いねむり人を見るとイライラしたり、自己嫌悪におちいったりしたが、もう牧会三十年ですから、イネムリされても平気です。ご安心ください。つかれていても熱心に礼拝を守っておられると思ってうれしくなります。詩篇には「神は、愛する者に眠りを与えたもう」とあります。ハイ。
熱帯夜の続く今日この頃。日曜礼拝に備えて、早目に就寝しましょう。お休みなさい。
一九九四年八月二十一日
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