石の枕
関根先生のご家族 先日、栃木県今市市にある教会をお訪ねした。音楽主事の関根先生のお父さまの牧する群である。増改築がなされて立派な礼拝堂で、まぶしいほどであった。よく祈られている教会で、主のご臨在をおぼえた。
訪問の本当の目的は、関根先生のお母さまをお見舞いし、いやしの祈りをささげるためであったが、私の方で多くを教えられた。
ひとつはガンの告知を受けられたお母さまが、痛みの中にも熱い祈祷の故に、平安にあふれていたこと。心から主の聖名を崇めた。
もうひとつは、お父さま先生(先日大和教会で礼拝説教をされた辰雄師)の献身の証詞文をいただいたことである。以下引用させていただく。
昭和三十一年四月、須賀川の聖書学塾に入学した。当時の神学生は、修養生と呼ばれていたが、その名がピッタリであった。入学するとすぐ丸坊主に髪を刈られた。丸坊主の似合う人と似合わぬ人がいた。私や東大出の羽鳥純二兄は、後者だった。
学院生活も板についた頃、前橋にいる家内から十二月頃赤ちゃんが生まれるようだ、と手紙が来た。聖書学院一年生の私は、三人のパパになった。(この三番目のお子さんが、テレビでおなじみの弘興牧師である。)
小学一年の一夫は(先日レーナさんの通訳者)二才の宣義を毎日のようにおんぶしていた。遊びたい盛りなのに弟の子守りが一夫の努めになった。そうでないと生まれたばかりの弘興を家内は見ながら働くことができなかったからである。
宣教師館で家内は働いたのだが、ウィンザー先生は我が家を実の祖父以上に細かい愛を持って心配してくださった。音楽家のウィンザー師は二才の宣義に一生懸命英語の歌を教えてくれた。すばらしいオルガニストの先生の演奏を毎日聞きながら子どもたちは育った。―。
丁神学生に三番目のお子さんが来月与えられる。前述の証文を読んで胸を熱くした。祈って下さい。
一九九四年十一月二十日
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