Yamato Calvary Chapel 私たちは聖書を重んじる福音的プロテスタント教会です。「明るく、元気で、のびのびと」をモットーとしています。
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弱いままの私を神様は選んで、用いてくださる 青年会/渡部さん
         (2005年9月28日祈祷会での証から)

 私は二見慎吾ちゃんを通し、東京プロテスタント教会に導かれ、今こうして大和カルバリーチャペルに転入会という形でつながることができ、心から主に感謝しています。そして、ご挨拶もきちんとできずにいた私をずっと暖かく見守り、祈り、育ててくださっていた大川先生、道子先生には感謝の気持ちをどのように言葉で表現したらいいか分かりません…本当にありがとうございました。これからも、配慮の足りない行動が多々あると思います。先生方や信徒の方々から教えていただきながら、少しずつ成長させていただきたいと思います。

 これから、大和カルバリーチャペルで神様にお仕えできるとできると思うと嬉しくてたまりません。いままで1年9ヶ月、待っていてよかったです。神様の時が一番であることを学びました。

 私は、クリスチャンホームで育ち、3代目のクリスチャンです。 私は母のおなかの中にいるときから教会に行っていました。日曜は教会に行き日曜学校に通うことが当たり前だと思っていました。私の教会は小さく、同年代の子供は弟だけでした。神様はいるということは、疑うことはありませんでしたが、イエス様が生きて共にいてくださる世界は全く分かりませんでした。教会以外で個人的に聖書を開くことはなく、お祈りもきちんとしたことがなかったです。小さい頃は何も考えず、ただ毎晩「神様、火事と地震と戦争だけは起きないようにして下さい。」と祈っていたことを覚えています。

 大学時代もアルバイトばかりして日曜はいつも自分の生活を優先していくようになりました。そして、看護婦になりました。

 神様は、その頃、二見慎吾ちゃんとの出会いを下さいました。慎吾ちゃんが教会へ行っていることを知ったのは、一枚の葉書でした。「日曜学校の先生がお手紙をくれた!」と喜んで見せてくれたのを覚えています。その時から慎吾ちゃんとも、お母様とも、教会の話をするようになりました。家族やお友達が本当に大好きで、純粋で素直な慎吾ちゃんを通して、私は沢山の癒しをイエス様からもらいました。放蕩していながらも、慎吾ちゃんやお母様の前では、信仰生活を送っているクリスチャンであるような発言をしていたことを、本当に恥ずかしく思います。慎吾ちゃん、ご家族が苦しんでいる中で私は何一つできず、励ますことも共に痛み、泣くこともできなかった自分が本当に情けなく、申し訳ない気持ちでいっぱいです。天国に行く前の慎吾ちゃんは、医学的にも理解できない症状で長い間、痛みに苦しみました。ある晩、私が夜勤のときに彼が、「おなかが痛くて眠れないよ…渡部さん、神様にお祈りして。」と言い、一緒にお祈りをしたことが忘れられません。私が祈った後に、慎吾ちゃんは「神様、助けて。」と繰り返し祈りました。私はその姿を見て、彼の信仰に驚きました。病気になったこと、痛み苦しんでいることを神様に問うことをせず、ただただ神様を信じ、より頼んでいる慎吾ちゃんを見て、彼と心合わせて祈っているように見える私は、本当は神様に背を向けて生活をしている…そんな裏腹な自分が本当に恥ずかしかったです。

 慎吾ちゃんが天国に行った後も、お母さんは病棟にギデオンの聖書を何冊も持ってきてくださったり、クリスマスやイベントがあるたびにトラクトを病棟にもってきてくださいました。私にも個人的に礼拝のテープやコンサートのチラシなど、定期的にお手紙を下さいました。お子さんを亡くし、心痛んでいるお母さんに、なんと声をかけていいか分からず、いつもお返事する勇気がありませんでした。9月に入り、お母さんが平日休みの看護婦さんにはぴったりだからと、東京プロテスタント教会の紹介をして下さいました。

 生まれてからずっと自分の通う教会しか知らなかったので、東京に来て聖書の話がこんなにも興味深く、身近なものであると初めて感じたのを覚えています。初めは一週間おきに通っていたのが、仕事の休みにはどんな私用があろうとも必ず通うようになりました。その頃から聖書を夢中になって読み始めました。聖書を読み、みことばに触れるようになって、自分自身の今までの生活がどんなにも神様を悲しませていたか知りました。自分のしていることが罪であるとも感じることがなかったことに対し、自分に対する怒りや、落胆など…言葉では表現できない、さまざまな感情が入り乱れ、教会に来るたびに泣いていました。そして、自分がどんなにも罪深く汚い存在であるか、はっきりと分かりました。この欲深い、罪の中に生きている私のためにイエス様が十字架にかかってくださったのだと、洗礼を受けて10年以上経ってやっと気付きました。「イエス様は私が何をしたのでもなく、何か神様のために頑張ったわけでもないのに、ただ私を愛して十字架にかかって下さった。」と、頭ではなく、心で感じ、知ることができました。イエス様の愛は本当に見返りを求めない、無償の愛であることが分かりました。そして、神様はどんなにどんなに、私が背を向けようとも見捨てずに待っていてくださり、帰ってきた時も、責めることなく抱きしめてくれる、本当のお父様であると分かりました。

 イエス様の愛を知り、変えられた私は毎日必死に「イエス様のために生きたいです。神様、この汚い私をもらって下さい。」と祈りました。その頃は、自分の罪が十字架によって赦され、神様に買い取っていただけている存在であることは心では分かっていませんでした。いつも、罪責感が心にあり、「今までの私を神様に赦して欲しい。」と思い、職場でも一生懸命に伝道し、夜勤明けであろうがどんなに体調が悪くても教会に来て、家に帰って聖書を読む…とにかく一生懸命に頑張らないと、いままで散々自己中心に生きてきた私の献身の思いは神様に受け取ってもらえない…と感じていたんだろうと思います。誰よりも、自分自身が自分を憎み、赦せなかったのだと、今振り返るとそう思います。

 2004年6月に入り、東京でも大和でも母教会でも、同じみことばが何度も語られることがありました。私は、自分にみことばが与えられる、という経験をしたことがなかったので、不思議でたまりませんでした。6月22日の朝のディボーションで、また同じ箇所が与えられ、「神様が私に特別に語って下さっている。」と、はっきり分かりました。ローマ人への手紙12章1節、コリント人への第一の手紙6章19−20節、神様は鈍感な私に忍耐強く、私が分かるまで何度も何度も語って下さっていてくれたと分かり、本当に感謝の気持ちでいっぱいです。同じ日に二見慎吾ちゃんのお母さんと一緒に東京の礼拝を守る約束をしていました。その日の礼拝中に聖霊のバプテスマを受け、異言の祈りが与えられました。神様が私の献身の思いを受け取って下さったという、喜びで満たされ、本当に本当に嬉しくて、家に着いた後も嬉しくて涙が止まりませんでした。

 その後、私は去年の10月にうつ病になりました。来月でちょうど1年です。このことを通して神様が、たくさんのことを教えてくださいました。ローマ人への手紙7章18節でパウロが言ったことは本当にそうだなぁ…病気になって、このみことばの深さを知りました。「わたしの内に、すなわち、わたしの肉の内には、善なるものが宿っていないことを、わたしは知っている。なぜなら、善をしようとする意志は、自分にあるが、それをする力がないからである。」自分には何もないことを知ることができて、肩の荷が下りました。「できなくて、当たり前!」無力で精神的な弱さのある私をそのまま神様に明け渡して、力をいただけばいいのだと分かって、気持ちが一気に楽になりました。平安と喜びが私の内側に溢れてきたんです。今は、神様を礼拝し、賛美できることが本当に本当に嬉しいです。弱いままの私を神様は選んで、用いてくださるから、感謝です。

 「わたしたちは神の作品であって、良い行いをするように、キリスト・イエスにあって造られたのである。神は、わたしたちが、良い行いをして日を過ごすようにと、あらかじめ備えてくださったのである。」エペソ2:10

 何もできない自分、精神的な弱さをいつも感謝して、いつも喜んで、良い行いができるように祈って、これからも神様にお仕えしていきたいです。

 最後まで聞いてくださって、本当に感謝です。

 すべての栄光を主におかえしします。
 

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