- キリストを知る前の自分
私が小さい頃から父はとてもわがままで、母へ一方的に暴力を振るうことが非常に多かった。 それを見て心がとても痛みましたが、どうすることもできませんでした。だから、心が傷つくことに対してとても神経質で怒りっぽい私でしたので、学校で喧嘩ばかりで友達など一人もいませんでした。また家庭も荒れ、 ささいな事で兄に反抗し、弟を些細な理由でいじめ、私の心も傷ついていました。もちろんこれを止めねばと思いましたが、 どうすることもできませんでした。
高校は実家から離れた高校に進んで寮生活を始めました。そして、人間関係が新しくなれば良い方向へ変わるだろうと思いましたが、
肝心の私の心の中の傷がそのままでした。だから私が周りの人に接する態度は、高校に入る以前の自分勝手で怒りっぽい、
それまでの私と全く同じでした。当然こんな自分中心な私には友達は1人も出来ませんでした。いじめに遭う事もあった。しかし私は、このままじゃいけない、自分が頑張ってもっといい大学に行って環境が変わればもっといい人生が待っているはずだと朝から晩まで勉強して進学することをその当時の生きる目的にしていました。しかし、何故私だけがこんなに苦しまなければならないのかと悩みました。
大学病院に通院して精神安定剤を処方してもらっていました。また、死にたいと思った事が何度もあったがその勇気もなく、
苦々しい思いをしました。
大学に入り最初は新歓コンパとかがあって楽しかったのですが、6月・7月になって大学生活が落ち着くと孤独な自分に落胆しました。自分で心の内側を見ると、何て孤独で寂しい人生なのだろうと思いました。生きる目的は何なのかが分からなくなっていました。
- いかにしてキリストを知ったか
ところが、神様はこんな私にも会って下さいました。そんな人生のどん底の時、大学の構内のある所に貼ってある紙を見つけました。それはKGK(キリスト者学生会:大学生のクリスチャンが集まるサークル)のあるキャンプの案内でした。 私はそれまで身近にクリスチャンの人はいませんでしたし、キリスト教の行事には参加した事はありませんでしたが、何故か心の奥底から行きなさい!! という声が聞こえてそのツアーに参加しました。
そしてその場で初めて賛美歌を歌ったり、 ツアーに来ていた学生たちと話したりしていると、何故初めて会ったみんなが私を暖かく迎えてくれるのだろうと思いました。そしてクリスチャンとは、キリスト教とは一体何だろう?という疑問が湧き出しました。
そして、イエス・キリストが私達の全ての罪の身代わりになり、十字架に架かって死んで下さった話や、
それにより私達の罪が全て赦されたという話を聞いた時、もしかして、これこそが私が求め続けたものではないのか?と心の片隅で思いました。
そして、「今イエス・キリストを信じないと一生後悔するのでは」と思い、 その日のうちにイエス・キリストを心の中に受け入れるお祈りをしました。
- キリストを知って変わったこと
私はいつも何故こんな家庭に生んだのだと両親を憎みました。母親が泣いているのに何で俺を生んだのだと罵声を浴びせかける事も何度も会った。
しかし、イエス・キリストを救い主として信じて分かったのは、この苦しい出来事こそ、
私が神様の素晴らしさを分かるために必要だったという事でした。 また、父や母は私がわがままを言っても自分達の意見を押し付けず、そのまま受け入れてくれたのに、
今まで何と自分勝手な事をしてきたのだと心の底から後悔をし、何度も泣いて悔い改めました。
また、神様は友達が20年間誰1人といなかったこんな孤独な私にも会ってくださったのだと思うと、
心の底から何とも言えない喜びがこみ上げてきました。
それ以降僕の生きる意味が変わりました。僕は神様に生かされているのだという確信しました。そしてこのイエス・キリストという方にお従いする事こそが僕が生きる本当の目的なのだと思いました。また、天国だけでなくこの地上でも神様と共に歩む人生になったのだと確信するようになりました。
最後に心のすさんだ私を救ってくださり、救いの証しをする機会を与えて下さった神様に心から感謝します。ありがとうございました。
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