2006年5月31日祈祷会 メッセージ

             ※説教のレジュメ(要約)はこちら

第四章 「私たちは永遠に生きる者」であることを考え直す。

この日本語は、正しい日本語ではありませんね。これは、私たちは永遠に生きるものであることを、積極的に肯定的に考え直す、というのが正しい日本語であろうかと思いますが、
伝道の書3章11節が書かれております。

「神は、人の心に永遠の思いを植え付けられた。」(伝道の書3:11LB)。
 リビングバイブルで書かれてよりますが、口語訳聖書で読むことにいたしましょう。
「神がなされることはみなその時にかなって美しい。神はまた人の心に永遠を思う思いを授けられた。(すごいねえ)それでもなお、人は神のなされる業を初めから終わりまで見極めることはできない。」聖書は素晴らしいですね。
リビングバイブルでは「神は、人の心に永遠の思いを植え付けられた」これもいいですよね。リック・ウオーレン先生の特色は、アメリカにおけるところの英語の聖書を、多分
20種類ぐらいを上手に使っておられることでしょう。

○「この地上における人生は、本番前のリハーサル。この世は、次の人生の準備である」という。

 こういうものの考え方はないわけではありませんでしたけれど、非常に弱かった、希薄であったと思います。「この地上の人生がすべてある」と殆どの人たちはそう思い、クリスチャンのくせにそう思い込んでいる人たちが沢山おります。

○「今を生きる」・・永遠を考えて生きる!(0.0000001は%の人生+∞)

 今を生きると書きましたが、たとえ今と言うのが100年続いたとしても、永遠を考えながら生きるということが重要なことであります。
永遠と比較しますと、この地上に生かされているのは僅か、0.0000000・・・・・1%の人生でしかありません。私たちの人生はその意味において、永遠の恵みの中に置かれている人生ということであります。しかし、永遠の問題を強く意識しすぎますと、昭和の初期にホーリネス教団が、“再臨信仰”が強くなって、明日にでもイエス様がいらっしゃるなんていうと、試験勉強するのが馬鹿馬鹿しくなりますし、仕事するのが馬鹿馬鹿しくなります。
イエス様がいらしたらいちばん最初にお迎えしたいというようなことで、屋根の上に登って待っている人がいたり、お前もう学校やめなさい、イエスさまは、明日か、明後日、来週か再来週来るからということになりますと、学校に行かせてもらえなくなるという、これは極端であります。しかしながら、そのぶり返しのような、時計の振り子のようなところがありまして、再臨信仰が薄くなりますと、今が大切だ!って。大切は大切ですけれど、再臨信仰、永遠の世界というものを、まあ、どうでもいいやとは思わないけれども、希薄になるということで、非常に困難なことが起こってまいります。
 リック・ウオーレンという人は、バプテストの牧師ですが、世界的にこれが受け入れられているということは、これはバランスが良くとれているということ。今日のメッセージは極端ではありません。バランスが良くとれているということであります。

○多くのクリスチャンは、永遠を本気で受け止めていない。
 これは、わたくし本当だと思います。牧師である私が、そう告白します。

○地上には多くの選択肢がある。
永遠にはたった二つの選択肢(天国か地獄か)
EX:C.S.ルイス:2種類の人々。
        @神に対して「あなたのご計画がなりますように」と祈る人
        A神の方から「わかった。それならもう勝手にしなさい」


 結婚の相手を選ぶこともできます。家も選ぶことができます。今日はお休みしようか、しまいかと選ぶことができます。宗教を選ぶこともできます。食べ物も選ぶことができます。なんでもかんでも選択するその選択肢が沢山あります。
 しかし、永遠には、たった二つの選択肢、天国か地獄か、そのどちらかであります。
ご存知、C.S.ルイス、ナルニア国物語のルイスは、2種類の人々がいるという。これおもしろいですよ。

 1番目。神様に対して、あなたのご計画がなりますように、と祈る人。
 これはクリスチャンとして素晴らしいですね。私の思い通りにさせてください、と言うのは本当のクリスチャン、上等のクリスチャンではありませんね。
 アブラハム・リンカーンが、私たちはいつも神様の側に立つ。神様をこちら側に引き込むのではなくて、神のみ旨、神の側に立つのであれば、絶対に勝利の人生を送ることができるといったのは、まさにそのことでありましょう。
 2番目。神様の方から「分かった。そうそれなら勝手にしなさい」と言われる人。
あんたが、そうやって自由に、自分勝手に、思うように行くなら、最終的に神様が、分かった、分かった!それなら、もう勝手にしなさい! こういう2種類の人たちがいます。
あなたは、どちらでしょうか?

○「人生とは、永遠に対する準備である」ということが分かった時、あなたの生き方が大きく変わります。価値観が一変します。時間の使い方、お金の使い方、賜物の使い方にもっと賢い判断をするようになります。
 
 先週、私たちは韓国の牧師先生、崔牧師から日曜日の礼拝で、ソン牧師が「この時代、賢く生きなさい」とエペソ人への手紙の中でメッセージをしてくださいましたが、賢く人生を過ごすようになります。

ex:ルカ16:19(無関心の罪・・見ざる、聞かざる、言わざる、成さざるの罪)

 ここに例えとして、ルカ16章19節が書かれておりますが、何が書いてあるかといいますと、ラザロと大金持ちとの例え話であります。
 金持ちが地獄というか黄泉にくだって、ラザロが天に召されていったという、あの有名なお話、覚えておられると思いますけれど、大金持ちが失敗したのは、金があったから失敗したのではありません。金の使い方に、まったくもって問題があったからであります。 
「無関心の罪」と言いましょうか、そばに施さなければならない、応援しなければならない、愛を示すべき存在がいるにもかかわらず、それをしなかったという、見ざる、聞かざる、言わざる、ここまでは有名ですね、日光の東照宮でありますね。
 悪いものを見ない、悪いことを聞かない、悪い言葉をつかわない、当たり前のことでありますが、台湾に行きますと、何も成さざるというサルがいるという。何もしなかったということ、目の前にすべきことがあったにもかかわらず、という問題が起こります、ということであります。勿論これは、この書物に書いてあるわけではなくて、私がメッセージとして主から頂いているものであります。

x:パウロの変化「私がかつて、こういったものをとても大切にしてきましたが、今ではまったくつまらないものと思うようになりました。キリストが私のためにしてくださったことを思うとき、それらのものは、みんな色褪せて見えるからです。」
(ピリピ3:7NL)

この訳は素晴らしいと思いますね。

 これは口語訳聖書を開きましょうね。ピリピ3章7節。ご一緒に読みましょう。
「しかし、私にとって益であったこれらのものを、キリストのゆえに損と思うようになった。(すごい表現ですねー)。8節、私は、更に進んで、私の主キリスト・イエスを知る知識の絶大な価値のゆえに、一切のものを損と思っている。キリストのゆえに、私はすべてを失ったが、それらのものを、糞土のように思っている。」とパウロは言うんですよ。すごいですね。
 ドイツの聖書は、そんなものは、糞食らえ、と訳しているんですよ。でも、この日本語を訳した人はどういう人だろうね。まあ、そういう事であります。では、次にいきます。

○ 神と共に過ごす永遠とはいったいどのようなものなのでしょうか。
「神は、通常、人が見たことも、聞いたことも、そして想像したことさえもないほど素晴らしいものを、主を愛する人のために用意してくださったのです。」
(Tコリント2:9LB)


 聖書の直接的な釈義から来るものは、イエス・キリストの十字架による救いの問題、目まだ見ず、耳いまだ聞かず、人の心いまだ思わざりしものを備えた、というのは歴史上、イエス・キリストの十字架を通して誰でもが救われる道が開かれたという、そういう内容です。 しかし、この先生がこのみ言葉を引用しておりますのは、「永遠の問題に関して」であります。

 私たちはこの地上で、流れの辺りに植えられた木の時来たりなば実を結び、その葉もしぼまざるごとく、そのなすところみな栄える。することなすことみな成功する。こういうメッセージを、昨年何度も聴いてまいりましたが、このところで表現されております、人が見たことも、聞いたことも、そして想像したこともないほど素晴らしいものを、主を愛する人のために用意していてくださったということの一つは、永遠の問題であります。
 私たちが与えられた頭脳を用いてどんな釈義をしたとしても、音楽家がその与えられた賜物をどんなに鋭くしたとしても(♪み座にいます子羊よ・・・)、天国にいったら、腰を抜かすほどびっくりするでしょう。それは王の王、主の主が、どんなに素晴らしいお方であるか、こんなことを想像したこともない、目いまだ見ず、耳いまだ聞かず、人の心いまだ思わざりし事がなされる。
今、私達も興奮するほど勉強しているが、今は鏡に見るごとくであります。私はギリシャのコリントに旅をしたときに、そこにいた人が私のテレビを見ている人がいたということを話したことがありますね。ちょうどそのコリントの博物館に行きましたらそこに鏡が置いてありまして、これが第Tコリント13章の、いま、鏡に見るごとくおぼろであって、銅板でしてね、全然顔が映らないみたいなもんでありますけれど、しかし、やがて主が、いま私を完全に知っていて下さると同じように、私は神様を完璧に、神を完璧に知るということでしょうねえ。そして、その時、その所で、驚くべきことを頂くことが出来るでありましょう。信ずる者は、アーメンと言いましょう。

○ 神はあなたの人生に目的をもっておられますが、それはこの地上で終わるものではありません。 (これも重要なメッセージ)。
 EX:ヨハネ11:4 病苦で訓練されて天国住民にふさわしくなる。


 ヨハネ11章4節には、ラサロが病気で今や死なんとするというか、死んで4日もたってしまうと言う話をしたばかりですけれど、まだ死なないうちに、イエス様きてください、助けてください、と言いましたね。その時イエス様は、これは死に至る病ではない。死で終わるものではない、この者を通して神の栄光が現れるそのことのためである、ということを、おっしゃられたわけでありますが、私が今回、瞑想しておりますときに、兄弟姉妹、この地上でおける病気で訓練された人、苦しみで訓練された人、行き詰まって訓練された人、自分が悪かったんですけれど、いいですか、自分が蒔いた種だったんですけれど、自分の何かの失敗だったんですけれど、でも訓練された人、ものすごく悩んだ人、泣いた人、そのことは、天国住民に相応しくなるために、整えられているというのです。永遠のスパンで物事を考えた時の素晴らしさ、病気が治って健康になれば頷けるかもしれませんけれど、子供を幼くして亡くしている場合が、この教会でも若くして亡くなった方々が沢山おられます。子供を幼くして亡くした苦しみ、悲しみ、淋しさを通して、残された親が天国住民にふさわしく整えられていること、その人は、この地上でたった10年、20年、30年、40年、50年短かったかもしれないけれど、この中で訓練されたこと、いや、あんまり訓練されていない、人格も整えられていない、しっちゃかめっちゃか、なようなクリスチャンであったとしても、最後のあの苦しみを通して、死のトンネルを通して、神様はその人を、整えて下さって天国の民に相応しくして下さっていると、私は今回祈り備えている時にそう教えられました。でありますから、エレミヤ29の11節に、「主は、あなたに災いを与えようとしているではない、私はあなたに対して計画を持っている」と、あえて災いのように見えるけれど、苦しみの様に見えるけど、訓練の様に見えるけど、あなたは時々ぼやいえいるけれど、本当は、もっと、もっと深?い永遠の世界があるということを、忘れてはいけませんよという、そういう世界であります。

○ 胎内の10ヶ月は、この地上の準備期間。この地上は、次の生に向けた準備期間と言える。

 リック・ウオーレン先生は、体内の9ヶ月と書いてありますが、アメリカは9ヶ月と表現するのか、日本は昔から10ヶ月と表現します。胎内に於ける10カ月は、この地上で生きるための準備期間であります。この地上は、永遠の世界に生きるための準備期間と言える。すごい話だと思いません?
この地上で、大体お肌の曲がり角といわれるのはどのくらいの時でしょうかね。人間の体力というのは何時頃からUターンしてしまうのでしょうかね。だんだんと衰えていってしまうのでしょうか。でも、そうではないんだ。お母さんのお腹の中にいる時は、この地上に対する準備期間。この地上での準備をして、最後は結構、腰が曲がったり、しわが増えたり、あっちが痛い、こっちが痛い病気が出たりするけれど、その中で養われ、訓練され、整えられて、はじめて天国の国民に相応しい人格に整えられていくんだという風に受け止めるということは、驚くべきメッセージであろうと思います。

○「この世は私達の住むところではありません。」(ヘブル13:14 LB)
  ヘブル11:38「この世の寸法は、彼らに合わなかった。」「この世は、彼らの住むところではなかった。」


 ヘブル人への手紙13章14節 「この地上では、永遠の都はない。 来たらんとする都こそ、私たちの求めているものである」。 リビング・バイブルがこのところを、「この世は私達の住む所ではありません」と訳している。全く同じ表現が、ヘブル書の11章38節に出てくるのですよ。 「この世は彼らの住む所ではなかった、荒野と山の中と岩の穴と土の穴とを、さまよい続けた」 と書いてありますが、 原文のギリシャ語ではこの括弧の中を、この世の寸法は彼らに合わなかった、と訳すことができる言葉であるということであります。興味ある表現だと思われませんか。

※ 永遠を生きてきた人々:マザーテレサ、賀川豊彦、ドブソン、その他大勢永遠を考えて生きたひと達がいました。

 すぐにでてくる人はマザーテレサでしょう。彼女があのような献身の生涯を送ることができたのは、永遠を信じていたからであろうと思います。なぜなら、マタイ25章のみ言葉の様に、これらのいと小さい者の一人にしたことは、わたしにしたことだ。この苦しんでいるヒンズー教徒にも、イスラム教徒にも、イエス様がその中にいて下さるという信仰でした。これらの、いと小さい者の一人にしなかったことは、私にしなかったことだ。あの大金持ちはお金の使い方を間違って黄泉に下って行ってしまったということ。

 賀川豊彦先はこんな文章を書いておられます。
「1枚の最後に残りしこの衣、キリストのためにはなお脱がんとぞ思う」。1枚の最後に残りしこの衣、すなわち、上着を取ろうと思う者には、下着をも提供しなさい。マタイ福音書の場合には、下着を取ろうとする者には、上着をも提供しなさいというそのみ言葉の実践を覚えていたわけでありますが、この人物は、まさに永遠を信じていたわけであります。

 ドブソン先生は、アメリカ人ですが、フォーカス・オン・ザ・ファミリー、これは、家族問題、ファミリー問題で世界的に有名なお方でいらっしゃいますが、私は非常に感動して帰ってきました。ドブソン先生は、もう引退しておられるのですがお仕事をしておられて、ガラスの向こうですが、手を振ってご挨拶いたしました。29年前、フォーカス・オン・ザ・ファミリーはロサンゼルスでスタートを切りました。何故かっていうと、アメリカの国があまりにもひどく特に家庭が崩れてきた。すべての命は胎児、高齢者、未亡人、精神障害者、見栄えのよくない人、身体障害者すべてを含み、生まれた時から死に至るまで、人間としてすべての面で計り知れないほどの価値があり、重要であることを知らしめるために立ち上がったそうであります。
 その関係者に調べて頂いたのでありますが、心理学者でいらっして、おじいさんも、お父さんも、牧師であったそうですが、彼は立ちあがって全米を相手にして、ものすごい仕事を始めました。そして、国家がこれを心に留めるようになりました。アメリカの国は世界で一番豊かな国でありますが、その国の最大の問題は、国がおかしく、家庭がおかしくなっているということであります。ドブソンの夢は、今、アメリカの国を支えようとする。アメリカは、ドブソンに助けを求めているということであります。
 ロサンゼルスから、今の場所に引越しして来るときに、町をあげて、税金の対策も配慮して下さって、引っ越しすることが出来たと言う風に言われております。

ex:オオカワプラン…国の崩壊を止める。立て直す。 ex:ムラカミプラン…

 愛する兄弟姉妹、ここにカタカナで、オオカワプラン、ムラカミプランと書きましたが、私は出先で、すごいインスピレーションと言うか、こんな大きなことをこの年齢で、弱った体で言っていいかなーと苦しみますけれど、日本の国は家庭崩壊が、アメリカより大体10年ぐらい遅れておかしくなっていると言われます。アメリカはクリスチャンホームであったとしても、家庭がおかしくなっております。近代文明における所の最も大きな問題は、家庭が崩されるということであります。いいですか、クリスチャンでも離婚歴が非常に高くなってきているのです。
 私の子供二人は成人しました。家庭を持っていますが孫が二人います。この子供や孫がこのサタンの罠に、子供や孫が罪の線に必ずひっかけられる、と想像しただけで苦しい。
日本においてもそうですが、(アメリカに於いてもそうですが)、いじめ、非行、虐殺、幼児虐待、家庭内暴力、離婚、中絶、麻薬、子育ての難しさというものが、アメリカに負けないほどに、これからこの日本に起きると私は先取りして予言しますが、これは100%当たるでしょう。
 チャーチ・スクールの問題が、いま、先生から話されましたが、皆さんどうぞ覚えて祈って下さい。幼稚園もやりたいですよ。本気で献身して、この事のために献身する人たちを必要としております。家庭問題研究所というものを作りたい。この前テレビで占い師の細井教子の番組をチラット見ました。あんな人にテレビが牛耳られて、悔しいねエ。

 1997年10月、小泉功さんという方がこの教会(森チャペル)にきました。
「10月16日家に来てください。お会いしたいんですが。」土地の権利書をくれました。
29日、1億円献金してくださいました。1998年1月6日、また1億円くれました。
結果的に、3億円ぐらいの捧げものをしてくださって、この美しい礼拝堂が建てあげられました。彼は天国で喜んでいるでしょうね。楽しくてしょうがないんですよね。
永遠のスパン!

 “ですから聖書にもどるのです”(大川牧師著)の書評を教文館が村上先生に頼んだらしいのですが、きょう持ってくれば良かったですけれど、私の新しい書物が今度、いのちのことば社から出ます。今週出て日曜日間に合うと思いますけれど、この本の書評を頼むために村上先生と電話をしたのですよ。そしたら教文館からの“ですから聖書にもどるのです”というこの書評を、いま、書き終えてだしたばかりですよって。「何だ、あんたまた書いたの?」 「ぜひとも、東京の週報を纏めたものですから先生書いてくださいよ」、と言ったら、僕書けるかなーなんて言って引き受けてくれたのですけれど。村上先生は私よりも9歳か10歳年上なんですよ。何の話をしたかというとね、二人で電話でね、伝道の話をしたのですよ。
「参るよなあー。日本の教会は成長しないし、受洗者は少ないし、どうしたら良いかなぁ」「そうだよなあ。ねえー先生、誰か30億円ぐらい寄付してくれたら、俺、また東京で伝道したいんだよなぁ」。笑われるかと思ったのですよ。「いやー、俺も伝道したいなぁ。俺を使ってくれよ」って。村上先生は私の大先輩ですよ。

 「ビルを一つぐらい、誰か譲ってくれたら、そこでも伝道できるよね」って言ったら、先生ね、この本を評論するために何度も読んでいるからね、「いやーそういえば、書いてあったよなぁ。」
マクドナルドの創立者の奥さんが亡くなられて、日本円に直すと1600億円献金しました。15億ドルというね。サンディエゴに東京ドームほどのサンディエゴ・コミュニティーセンターを作るために、みんなが平和で生活するようにと、僕が説教したから皆さん覚えていらっしゃるでしょう。
 3億円の献金なんて誰も考えていなかったけど、私がビジョンを語ったときに、聖霊様が彼の心に働いてくださって、こんなに夢みたいな教会を作ることができたんですよ。

 永遠を考えましょう。あなたは必ず100%必ず死にます。誰か財産を出さないかなぁ。誰か、遺産を残してくれないかなぁ。
何をやりたいか。チャーチ・スクールをもう少し充実させたい。
家庭問題研究所。皆さんの子供や、親戚や、周りの人たちに、これからもっと恐ろしいことが出てきますよ。日本の国の家族を、クリスチャンホームを、まず、守らなければいけませんけれど、そんなレベルではありません。国が細井教子にではない。
「教会さん、頼むよ」、と評論家の宮崎さんが、「キリスト教に期待する。もっと、営業努力をしてほしいんだ」って。キリスト教が持っている倫理というのは、特別な倫理なのですよ。これ以外に、日本の国を守るものなんか無いんですから。
もっと同性愛が広がるでしょう。当然、性の問題はもっと狂っていくでしょう。めちゃくちゃなっていくでしょう。もう、倫理もへったくれもなくなるでしょう。誰がどう抑えたら良いか? それは聖書以外にはないんですよ。聖書に戻るんですよ。ですから、聖書に戻るのです。
私たちが真剣に祈ったら奇跡が起こるでしょう。ここまで奇跡がたくさん起こってきたのですから。4回会堂建築をしてきたことは、みんな奇跡の連続だったのです。この教会は何百もの奇跡が起こりました。これからも起こるでしょう。夢を今日、語りましたよ。祈って下さい。
 そして、わたしたちの子供や孫や子孫、モーセは死んじゃったけど、モーセの後にヨシュアやカレブに、バトンタッチしたでしょう。永遠を考えていると、我々はその一部を担うのですけれど、我々はその一部を担うのですけれど、いま置かされているこの状況のなかで、私たちは永遠を思う思いが内側に植え付けられていることを意識しながら、あなたにも、あなたにも、あなたにも植え付けられています。その大切な神さまから頂いた心、スピリット、マインドを、大切に過ごしていきたいと思います。
 永遠に私たちは、神様のみ手のなかで、ご計画のなかで、その目的を果たすのだって。素晴らしいですね。
 私たちはこの地上がおしまいではなくて、永遠、向こうに行っても、ぶらぶら、ぶらぶらしているのではしようがないでしょう。
 永遠の目的のある人生を、天国に於いてもさせていただくことができるというね。。
「全力を注いで、主の業に励みなさい。決してあなたの労はこの地上に落ちることはない」と主は言われます。信じる者はアーメンと言いましょう。

お祈りいたします。
 天のお父さま、感謝します。感謝します。感謝します。あなたは私たちに永遠を思う思いを、植え付けてくださいましたから、こうやってメッセージを聞いたら、誰でもが、アーメンであります。
私たちはみんな死にます。早い人もおります。遅い人もおります。でも、永遠です。永遠です。与えられた人生の目的を、この地上における目的を、また、それが続いて神様は何かをさせてくださる。日本の家族、家庭問題はアメリカ以上におかしくなっていくでしょう。先進諸国は、みんな狂ってきます。サタンの思うツボ、汚染されていくでしょう。かわいい、可愛い子供たちが、どんどんおかしくなってきます。神様、どうぞ、哀れんでチャーチ・スクールを幼稚園もできるようにしてください。主よ、恵まれた、本当に献身的な献身者の教師たちを、次々に与えてください。
 家庭問題研究所を開きたいと思っていますが、施設を与えてください。良い場所を与えてください。必要なお金も与えてください。
 ドブソン先生が立ち上がって、国の汚れを、国の汚染をストップしているのと同じように、私どもの教会にも、そのお仕事をさせてください。お願いします。イエス様お願いします。
主イエス・キリストのお名前によって祈ります。アーメン!