私は、両親ともにクリスチャンの家に生まれました。小さいころは、教会学校に行くことが楽しみで毎週日曜日が待ちきれませんでした。 しかし、中学で部活動が始まると日曜日も練習があるため、教会に行くことができなくなりました。 あんなに楽しみにしていた教会へも行かなくなると、まったく平気になったのです。今考えてみると小さいころの「教会」の認識は、「日曜日のみ神様に礼拝する」というもので月曜日から土曜日までの生活とはまったく切り離された世界でした。ですから、教会へいかなくなってからも、日曜日がすっぽり抜けただけでまったく普段の生活は変わらないように思えていたからです。もちろん神様はいらっしゃるんだと信じてはいましたが、悲しいことに神様についてあまり真剣に考えていませんでした。
そんな私も、高校2年生の時に長年夢だった留学をします。1年間という短い間でしたが、私の中ではこれほど恵みに満ち充実した年はありません。 両親の願いからクリスチャンスクールに通うことになりました。その地域はアメリカの中でもクリスチャンの多い地域らしく、もちろん私のホストファミリーも熱心なクリスチャンでした。そこで肌で「クリスチャン」というものに触れた気がします。私の生活はまったく別のものに変わりました。学校では朝のホームルームでお祈りをして、各クラスでも何か祈りの課題があるときは授業中でもすぐにお祈りをします。また友達同士でも悩みなどがあると、すぐに祈りあったり聖書を開いて聖句を読んだりしました。学校の空気全体が神様の愛に満ちあふれていました。日々の生活が、神様を中心に回っているのです。
神様について真剣に考えるきっかけになったのが、学校のクラブで入っていたバスケットボールでした。毎日の練習が祈りに始まって祈りに終わるのはもちろん、一番驚いたのが試合に対する姿勢でした。試合前に選手が集まってコーチとミーティングをします。そのときに毎回選手が順番に印象にのこった聖句を一節読み、その後に聖句を通して試合に対する態度についてみんなに伝えます。バスケットボールはアグレッシブなスポーツですが、決して神様に恥ずかしくない態度で試合をしよう。勝ち負けよりも、そのことが一番大切なんだということをいつも話し合いました。そこで「常に神様を自分の中心において考える」という、今までにない気持ちを持つようになりました。
小さいころから教会に通い神様のことを信じていたにもかかわらず、この1年の経験を通して初めてクリスチャンになった気がします。まだ知らないこともたくさんあります。でも今は昔と違って「本当に神様のことをもっと知りたい。聖書を読みたい。教会に行きたい」という強い気持ちがあります。そしていつも自分の中心に神様をおいて、毎日の生活の中で神様の愛に感謝することが出来るようになりました。神様は、私が小さいころからずっと待っていてくださった忍耐強いお方です。クリスチャンとしてまだスタートしたばかりですが、私も神様を必要としている人に聖書を通して助けていけるようになりたいと考えています。忍耐強い神様に感謝しつつ、あまりお待たせすることのないようにこの夢をかなえたいとおもっています。
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